11月3日は明治天皇のお誕生日。
明治時代には「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれる祝日だった
(“節”は漢字文化圏では今も祝日の名称に使われている)。時代が大正に替わると、当然、天長節は大正天皇のお誕生日だった
8月31日に移る(但し、同日は暑中という理由で、異例ながら天長節とは
又別に、10月31日が「天長節祝日」とされた)。これにより、11月3日は一旦、平日になった。
しかし、明治天皇が崩御(ほうぎょ)された直後から、
この日を「明治節」という名称の記念日として“保存”すべし、
という声が挙がっていた。それを運動として盛り上げたのが、日蓮主義を唱える宗教団体・国柱会
(こくちゅうかい)を創立した田中智学。同会は、「銀河鉄道の夜」などを
書いた宮沢賢治が熱心な信者だったことで、知られている。広範な国民の願いが叶(かな)って、昭和2年に「明治節」という
名前の祝日として復活した。
明治天皇が崩御されてから15年ほど経っていた。
ところが、先の大戦が敗北に終わり、占領下に祝祭日の変更を強要された時、
新しく制定された祝日法(国民の祝日に関する法律)では、「文化の日」
という名称で、その趣旨も明治天皇とは直接には繋がらない祝日に
変更されてしまった。その為に、現在では、この日が明治天皇のお誕生日である事実それ自体を、
知らない人も少なくないのではないか。
ニュースで取り上げられるので、天皇陛下が立派な業績がある人達に
皇居で文化勲章を親しく授けられる日、くらいのイメージかも知れない。
この日を、祝日として復活させた当時の国民の気持ちまで、
忘れ去られているのは残念だ。ちなみに、昭和天皇のお誕生日だった4月29日は、平成になって暫(しばら)く
「みどりの日」と呼ばれていた(現在は5月4日に移動)。
これを「昭和の日」に改める運動を提唱されたのは、田中智学の流れを汲む人々だった。
私も及ばずながら、僅かばかりお手伝いをさせて戴いた。結局、祝日法が改正されたのが平成17年。
実際に施行されたのは同19年からだった。
明治節の制定よりは、もう少し長い歳月を必要とした。【高森明勅公式サイト】
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